世の中が息苦しい

最近世の中が息苦しく感じる。はっきり言って、自分の中の「こうありたい自分」を阻害するに十分なぐらいに息苦しい。

先に結論から言うと、自己責任という言葉がかえって猜疑心を生む現象や、物事を白か黒かだけで片付けようとする社会的傾向の強さが原因だと思う。

自己責任という言葉、文字通り自分の行いは自分で責任をとれ、と言うことなのだが、これが企業側にも波及してしまっていて、例えば鉄道会社であれば、必要以上なまでの安全へのアナウンス、商品の取扱説明書を開けば、絶対こんなことはしないであろうという事柄までご丁寧に「してはいけません」と記載しているという状況に見て取れると思う。

結局、企業側も製品を出す以上、非常識と思われてる行動についても、消費者が取り得る可能性がある限り、説明書に列挙しなければ「訴えられるかもしれない」という恐怖がある状況なのであろう。

上記のように「自己責任」、一見ポジティヴだけど、結果的には猜疑心を生み出すのでは無いかとも思う。

しかもこれは何も企業だけの問題では無い。コモンセンスが失われつつあるゆえに、個人同士でも、大きく価値観が違うと言うケースがあると思う。この場合もやっぱり自己防衛のために、他の人と接するときは一歩構えてしまうようになるのでは無いか。

他者へ身構えるから出発して、みんなイライラ、すぐに突っかかってくる。突っかかられた人はイライラして、別の人に突っかかる。悪循環だ。

次に、物事を白か黒かで判断しがちな件だが、これは上記の「自己責任」とも密接にかかわってくると思うのだが、ありとあらゆる人や組織が「自己責任」を重く感じ、これを責任回避をしようとする結果、やたらと法律が厳罰化されたり、違法とされる行為が増えたりしているように思う。

車の運転で例えるならば、少し前までは時速 50km/h 制限の道路で 55km/h で走行していても、まずスピード違反で捕まることはないが、それが 51km/h で走行した瞬間に即アウトとなるような世界が今の世の中の印象である。

別に法律面だけじゃ無くても、デジタル的な 0 か 1 かばかりで、そもそも人間は曖昧な部分がほとんどなので、そういったところで、今の世の中を息苦しく感じているのかもしれない。

もうちょっと、みんなが大局的見地から物事を見ることができたなら、と思うことが良くある。でも、自分もよく考えると、結構そういう世の中に染まっていて、嫌だなぁとは感じる。

とにかく社会に寛容度が無いと感じるのだ。それこそダチョウ倶楽部のネタでは無いがみんなが「訴えてやる !」を地でいくような世界が加速化しているようで、何も悪いことをしていなくとも、なんだか意味も無く突っかかられるような世界が、すぐそこにあるのかもしれない。

そんな世界は嫌だなぁ・・・。