Anime: 魔法少女まどか☆マギカ 第 11 話

あの不幸な災害で、放送が止まっていた「魔法少女まどか☆マギカ」だが、昨日深夜 (ほとんど本日早朝) 、ついに最終話まで放送され、完結した。

次の日、仕事があるにもかかわらず、仮眠してリアルタイム視聴した。

初見は、普段でもまわっていないのにさらに眠気を催していた頭では、11, 12 話とも全般的に頭の中では「???」、でも、感情面には何か訴えてくるものがある、と言うのが正直な感想だった。加えて「まどか」が概念化したことについては、「serial experiments lain」を思い出した。まさにまどかは魔法少女に偏在する。

そう言うわけで、帰宅してからもう一度観てみた。

一言で言うと、とにかく重い話数。

魔法少女としての潜在力は背負い込んだ因果の量で決まる、とキュゥべえは述べている。つまり、魔法少女になる際に願った奇跡に比例する。

歴史的人物などであれば、因果も大きいが、一般人であるまどかが最強の魔法少女になる理由は、ほむらがループすることによる影響である。

このあたりはキュゥべえの台詞を聞いていてもよく分からないのだが、つまりはほむらがまどかを思うあまりに、逆にまどかの魔法少女としての資質が上がってしまう。この点において、本作の、よかれと思ってやったことが全て裏目に出てしまうと言う、セオリー通りである。

今話数で、キュゥべえはまどかに対し、「屠殺される家畜=魔法少女」である事実と、今までの自身達と人類の関わりのビジョンを見せるわけだが、この行為自身、かなりえげつないのではあるが、人間の方がえぐい事実をあらわにし、ある意味共生してきたような事から、逆にキュゥべえを正当化せざるを得ない様に感じた。

余談だが、感情が精神疾患となるキュゥべえ達は、まるで感情を抑制しているスタートレックのバルカン人みたいな思考なのかもしれない。

そして、ワルプルギスの夜がやって来た。何故にサーカスのビジュアルを引き連れているのだろうか。「ワルプルギスの夜」をネットで検索してみたところ、Wikipedia によれば魔女達のお祭りとの記述がある。結界に隠れる必要のない強い魔女、つまり願った奇跡が大きかった魔法少女のなれの果てで、絶望を振りまく一種のお祭りなのだろうか。

対するほむらの準備がすさまじい。どこであんなに武器を、どこかの軍基地から盗み出したのかと思うほどの攻撃で、実のところ街の破壊はワルプルギスの夜より彼女の方が多くないか、と言うぐらいである。

彼女は何故にそこまでするのかについて、キュゥべえは、ほむらがまどかを救うと言うことをやめてしまえば、自分自身が魔女化してしまう事が理由だとしているが、感情がある我々にはそうではなく本当にまどかを守りたかったからだと確信できる。

しかし、これまた希望を持つ限り救われないのが悲しい。